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行政目線をぶっ壊す。 “本気”の子ども支援策で明石から日本を変える(後編)


【明石市長 泉 房穂氏】

 

反対派も多かった。風向きが変わったのは「明石駅」駅前の再開発

 

―市長はまだ2期目だと存じますが、わずかな期間でここまで変えるというのは並大抵ではないと思います。当初は住民も高齢者が増えていることから、そこへの支援が主流だった思います。周りからの反発や反対はいかがでしたか。

泉市長 実に反対派は多かったです。8年目になりましたが、こういう形でお褒めの言葉をいただけるようになったのは2年ほど前からです。市長になってから5年間くらいは辛い状況でした。風当たりも厳しく、なんというふざけた市長だと…。

高齢者いじめで子どもの支援ばかりしている。産業振興や商工業を疎かにしていると。子どもばかり言うな、福祉ばかり言うなみたいな。子どもと言うと高齢者が怒る。福祉と言うと産業系が怒る状況でした。2年ほど前に風向きが一気に変わったのは、「明石駅」の駅前が劇的に変わり、図書館や子どもの集まる場所ができたことがきっかけです。多くの子育て層がどんどん明石市に入ってくるようになり、人も移り住みはじめ、勢いがついてきて形や数字として現れ始めました。

子どもや障がい者も大事なのだと市民にも共有されたその結果、何が起こったかというと、転入がどんどん増え、土地が買い求められ、田んぼや畑が売れ出し、公共事業が削られて怒っていた建設業界が新築の建設ラッシュで嬉しい悲鳴が聞こえ始めた。土建業者が潤うだけでなく、移り住んだ人が外食に行ったりしながらどんどん活性化し、商店街も息を吹き返し、みんなが喜んでいる状態になってきた。

当初の計画で1年間に10店舗くらい新規出店があればいいなと夢物語を描いていたような計画が、実際1年で24店舗が開店し、まちが見るからに元気に変わり始めて一気に空気が変わったのです。

子どもたちが大学への進学や就職などで18歳を過ぎると親元を離れ、明石市から離れてしまった。今では、たまにしか帰らなかった子どもたちが結婚し、子どもを産み、明石市に戻ってくるケースが続々と増えたのです。

明石市は子育てがしやすいと孫を連れて戻ってきてくれる。明石市で産まれる孫ができる。そういうケースが増え「もっと高齢者を大切に」と言っていた方も「やっぱり子どもは大事だな」と、子どもや孫の転入の動きを肌で知り、実感できるようになってきました。

―市民が「明石、最高」と自信を持っているように見えます。

泉市長 おかげさまでやっとの思いです。お金を子どもや福祉に使うために他の予算を大きく削るということは難しい問題でした。100億円も子どものために増やすということは、100億円を削っているわけです。ある意味、嫌われて当然です。

 

「やさしい社会を明石から」を始める、広げる

 

―皆が泉市長を応援しているようですね。

泉市長 実際に変化を目の当たりにしてリアリティを持ってくれたのだと思います。明石市のように人口30万人くらいだと、自立経営が可能で、かつ市民の顔に向き合える規模です。私は「ヒューマン・ジャストサイズ」と言っているのですが、市民の顔が見えるという意味のヒューマンで、ジャストサイズは自立経営が可能だという意味、つまり自己決定が可能だと。ちょうど適正規模ですね。人口30万くらいの明石市が、これまでやっていなかった施策を形にして具体的にお示しすることで、他のまちも真似しやすいだろうと思いますし、広がってほしいと強く思っています。

「やさしい社会を明石から」というフレーズをよく使いますけど、作りたいのは、大きい社会ではなく、助け合えるやさしい社会です。子どもにとっても誰にとっても。市民や子どもたちに近い自治体を明石市から始めてもいいではないか。しかしながら、明石市止まりではもったいない。「明石から」というのは、明石から「始める」という意味と、明石から全国へ「広げる」という想いを込めて施策展開しているのです。明石市はあまり他のまちが真似できないことは無理をして行いません。他のまちが簡単に真似できるような施策をポイントに考えています。

私としては、明石市だけ良ければいいとは思っていません。他のまちがやっていなくても明石市ができることは形にして、それをぜひ皆さんにご参考いただきたいと。「やさしい社会」については、こどもを核としたまちづくりと言っていますけど、子どもにやさしいまちはお年を召した方にも、障がい者にも、全市民にやさしいまちということになります。

私は支援を必要とするすべての人に、「その人が必要とする支援をしたら良いのではないか」という考え方を持っています。基本的に子どもというのは、支援を必要とする生き物ですから。そういう意味で、子どもというキーワードは支援を必要とする人とイコールになるわけです。でも、支援を必要とする人は子どもだけではありません。支援を必要とする要支援高齢者とか、障がいをお持ちの方で一定程度の支援の要る方について、当然やっていくことは子どもに対する施策と一緒です。

 

広報紙は市から市民へのラブレター

 

―広報紙、市役所内の掲示、ひとり親家庭の部署にも分かりやすい資料がたくさんありました。誰が作られているのでしょうか。

泉市長 担当職員が作っているものが多いです。ただ広報誌の「広報あかし」は基本的に私が特集からキャッチフレーズまで決めています。

―市長自ら編集されているのですね。

泉市長 私が市長になる前の広報紙は、よくある2色刷で1面に市長の顔がありました(笑)。ユーザビリティを無視した紙面で、そんな大きいアップの市長の顔を誰も見たくないですよね。私からすると広報紙は、月2回発行できる、市民に対して切々と訴えるラブレターです。どういったまちをつくりたいのか、どういった明石にしたいのかということを切々と月2回訴え続けているのです。

ラブレターに最初は興味がなかったとしても、何度も読んでいるうちに少しずつ関心を持っていただいて、今では多くの市民が明石市のまちづくりのコンセプトにご理解いただていると思っています。子どもに対して力を入れることは、まちの発展につながるんだと。そして子どもにやさしいまちは、お年を召した方にも障がい者にもやさしいまちですよねと。そして、罪を犯した人も含めてみんなで「おかえりなさい」といい合える。リスクはあるけど、そのリスクも含めてお互いで分かち合うようなまちをつくったほうがいいですよね。それをずっと言い続けているわけです。ずっと言い続けることで、一定数の市民がその部分で腑に落ち、共感してくれて、その声が市全体に広がっているようです。

 

真似してくれる市町村が増えてほしい

 

―今後の展望をお聞かせください。

泉市長 市民が「良い」と求めることはどんどん真似をしてほしいです。市長になって8年目に入り、施策のいくつかが具体化して進んできましたが、今後の展望というものは大きく分けて2つあります。

1つは、改めて明石市民が「今の明石市いいよね」ということを当たり前にもっと自然に広がっていくこと。今の施策が、もし私が市長でなくなっても、当然のように続くまちであってほしいと思います。私が市長だからできている施策ではなくて、明石のまちにとって、今の施策が当たり前になっていってほしいなと思います。市長や職員が変わった後も、永続性を持って続いて欲しい。市長が辞めてしまったら戻るような施策ではなくて、しっかりと子どもたちに向き合う施策を続けていってほしいし、続けていけるようにちゃんとしていきたいですね。私だけではなくて、みんなで明石のまちをつくっていっているという観点です。

もう1つは、「広げる」ですね。明石市の真似をするところがもっと増えてほしいですね。養育費の参考書式も随分広がりました。他の施策にしても参考にしていただきたいなと強く思います。

真似できない真似しない理由は2つあり、1つは真似したくてもお金がシフトできないという場合。もう1つは「理念」の違いです。例えば、明石市の子ども負担軽減策の場合、医療費に所得制限をかけていませんし、一部負担はありません。

本当はしたくないけれど仕方ないからという気持ちがあるから、所得制限をかけて貧しい子だけに支援を行う。そうではなくて、子どもは宝だから、まちのみんなで育てるから、その当該子どもの親だけに負担を増やすことはしない。だから、所得制限も一部負担もしないという「理念」です。

「子どもは親の持ちものではない」「すべての子どもたちを、まちのみんなで」、この2つがキーなんですね。子どもを親の持ちものと思うから、貧しい家庭の子だけに支援しなきゃとなるのです。金持ちでも貧しくても子どもは子どもであって、子どもが稼いでいない以上、子どもにお金はないのですから、子どもというものをすべて包み込む。裕福な子も包み込むけれど、犯罪者の子どももシングルマザーの子どもも、いろんな危機の子どももすべて包み込む。

そして「まちのみんな」です。お金も人もです。「すべての子どもたちをまちのみんなで」という理念が、しっかりと位置づけられるかどうかで施策は違ってきます。この理念が全国に広がってほしいと思いますね。

 

前回の記事はこちら↓
行政目線をぶっ壊す。 “本気”の子ども支援策で明石から日本を変える(前編)
行政目線をぶっ壊す。 “本気”の子ども支援策で明石から日本を変える(中編)

 

 Profile

泉 房穂(いずみ ふさほ)さん
兵庫県 明石市長

1963年、兵庫県明石市生まれ。東京大学教育学部卒業後、NHK、議員秘書などを経て司法試験に合格、弁護士として働く。2003年~2005年まで衆議院議員を務める。2011年より現職

泉 房穂ホームページ
http://www.izumi-fusaho.com