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負の連鎖を私で打ち切らないといけないと思った。~西村静恵氏インタビュー(後編)

中編(こちら)では何の後ろ盾もなく、臨んだ選挙戦についてフォーカスを当てました。後編では、にしむら氏のパワーの源や、子育て論、シングルマザーとしての想いを伺います。

(取材・文 浦邊真理子)

 

自分の意見がない、言えない「自分がない」33年間を経て

 

―小学校の元先生が応援演説をされていました。行動力の塊のような西村さんですが、やはり子どものころから正義感が強く、活発だったのですか。

西村さん よくそう思われるのですが、自分の意見を言わず、周りや相手が求めているであろう発言をするタイプでした。

親が喜ぶように、期待される通りに言動し、自分が我慢すればコトはうまく運ぶんだと自分の想いや言葉は引込め自分の意思で考えないようにする子どもだったのです。でも「本当は違うと誰かわかって」とこころの中でいつも訴えていました。それは今思うと「良い子」を演じ、常に親を求め続けている状態でした。

高校、大学とピアノを続けたことも親が望んでいることで、続けたら喜ぶだろう、安心するであろうと思いこみ選んだ道でした。親にしてきたことは他人に対しても、社会にでても同じでした。自分の『本当の意思』を考えないようになり、そのうちどうしたいのかも分からなくなっていきました。

 

娘の自害発作で我に返った「負のスパイラル」

 

―何か変わったきっかけがあったのですか。

西村さん 子どもが産まれて1歳半までは保育園に預けてバリバリ働いていました。その時もまだ両親の目、他人の目が私の判断基準で、「よい母親」をも演じていました。

働きながら、子どもに布おむつを使用し、搾乳し冷凍した母乳を保育園に預け、でも子どもを思うからこその布おむつや母乳ではなく他人の目ばかりを意識して、できる母親を演じ『お世話』はするけれど愛せない。外で繕う分、家に帰ればどっと疲れてわが子をぎゅっと抱きしめるとか、向き合うことができていませんでした。

そんな中、娘が一歳半の頃です。保育園に送る車の中で、娘が自分の頭をポカポカと叩き続け、止まらなくなりました。わたしは動転し、恐怖感を感じ固まってしまいしばらく眺めるしかできませんでした。腕を抑えても止まらず、どうしてよいのか分からず娘に「ごめん。ごめん」としか言えませんでした。

その時、わたしを我に返らせたのは「この子の母親はわたしだ」という突然湧きあがった思いでした。「今までどこを向いていたのだろう。親をいつまでも求めていてはいけない。わたしが親への欲求を断ち切ってこの子に向き合わないと私と同じになってしまう。」とその瞬間気づいたのです。負のスパイラルを子どもにつなげてはいけない。ここで断ち切ると心に決めました。

「親の機嫌」ばかり気にして縛られていた鎖が切れた瞬間でした。そこから1週間で仕事を退職し、自分と我が子に向き合う生活がスタートしました。


お子さんと「ひとてん」での山登りにて 提供:西村静恵氏

 

1年間に及ぶ自分で考える訓練

 

―どのような生活が始まりましたか。

西村さん びっくりされると思いますが、それまでずっと親や人の望みを読んで行動していたので、自らの力で選択することができないことに気が付きました。わが子に向き合うためにはまず自分に向き合うことから始めました。

まずしたことは、目の前のこと一つ一つを真剣に考えて選択する練習です。例えば、ご飯を食べるというようなことでも「それは本当に自分が食べたいものなの?」「何故それを選ぶの?」と都度問いただし選ぶ。オレンジジュースとリンゴジュースを前に置き、ほんとに飲みたいのはどっちかを確実に自分の意思で選ぶのです。その訓練の後、次に自分の気持ちを伝える練習をしました。子ども時代の思い、今の思いをひたすらノートに書き、親に話し、手紙を書いて伝えました。

自分と向き合うのはとってもしんどかった。1年経ち、親にも「NO」「わたしはわたし」とはっきり言えるようになりました。34歳を超えて、やっと自立できたのです。

―虐待、DVなどを受けて育ち、また我が子にもしてしまう「負のスパイラル」は驚くほど多い。離婚も親が離婚しているケースが多いことが分かっています。

西村さん そうなのです。親自身が気付いて変えないと終わらないのです。親へのそのような支援や寄り添いが足りていません。だから「ひとてん」(※前編参照)では、未就学児は親子での参加としています。

子どもの問題だと思われている大概ことは、大人の側の価値観、固定概念や囚われていることが影響していると感じます。大人の持つ「ものさし」を取り除くためにも、自分を取り戻していく体験をしてほしい。

園では子ども同士喧嘩をしても命にかかわること以外は見守ります。おとなの価値観で、喧嘩はダメ。無理やり謝らせたりすることはしません。子どもは自分たちの力で解決できます。大人たちはグッとこらえてみまもり子どもの力を信じるのです。

親にとっても厳しい修行ではありますが、その経験の積み重ねによって子どもたちは安心して失敗し、自ら学ぶことでググっと成長していきます。失敗しても、喧嘩してもいいのです。やり直せばいいし、話し合い、関係を修復していけばいいのです。放置ではなく、大人が大きく構え手ばなして見守ることが子どもを成長させています。

―このようなことは実体験がある母親だからこそ分かることですね。

西村さん 例えばシングルマザーのための制度。男性が議会で話合っても、シングルマザーの支援は生きたものに成らないのではないでしょうか。調査をして、意見を聞いて必要な取り組みを議論するのには時間がかかりすぎ、支援も遅れます。様々な支援策を講じても「使えない」ものは「ない」のと同じではないでしょうか。わたしは自分の経験を踏まえ語ることができます。


原発反対の集まり 画像提供:西村静恵氏

 

原発は「NO」-自分ゴト(実体験)を社会化していく

 

―原発の問題にも取り組まれていますね。

西村さん これも経験から生まれたものです。3.11のあと、放射能の影響から避難してきた親子が「ひとてん」に入学しました。その家族に今なお続く放射能汚染を学び、ひとてんの有志で保養受け入れ活動※を重ねました。原発事故や放射能汚染のことはメディアも国もわたしたちに伝えるべきことを報じません。事故はまだ終わっていませんし、飛散した放射能は今なお自然や生命に影響を与え続けています。

※線量の高い地域に住む人たちがそこを離れ一時的に汚染の影響が低い地域ですごしデトックスを行う活動

また隣の福井県には廃炉中も含めて原子炉が15基あります。ひとたび事故がおこったらいったいどうしたらよいのでしょうか。子どもたちを守れるのでしょうか。そこで安定ヨウ素剤事前配布に向けた活動を始めたり、防災計画のつくりかえへの働きかけを行ってきました

原子力発電のために災害対策を作り、命がけで電気を使うことはバカげてると思いませんか。政治は子どもたちの未来のためにあるはずなのに、国民が危険にさらされている。おかしな話です。でも政治家はNOと言わない。いえ言えないのです。

しかし、私は「NO」「絶対だめだ」と声をあげます。自分の頭で考え、意思をもつことが自分自身を護り生きる意味だとわかり、駄目なものは駄目。そう言える「人」になりたい。政治家の前に人としてそう在りたいと思います。

 

「義務教育とは学校へ行かせる義務ではない」

 

―お子様が不登校児だったということですが。

西村さん 娘は幼稚園から行きしぶり、小学校4年生まで学校へいったり行かなかったりの不登校でした。学校へ行かない日はひとてんで過ごす数年間でしたが5年生になりガラリと人が変わったように娘は学校へ行きはじめ今は中学生で部活を楽しむほどになりました。

不登校には様々な要因がありますのであくまでうちのケースですが。「義務教育とは学校へ行かせる義務ではない」と知るまで、はじめの頃は無理やり行かせようとしたりもしましたし、どうすればいいのか途方に暮れるときもありました。

でも学校へ行かないのは娘の選択であり、居場所(娘の場合はひとてん)があり、親は、学校と対話し関係をつくりつつ娘の選択(学校へ行かない選択)を認めることで時がくれば学校へいく場合もあるのだと学びました。

学校との対話で教育現場の状況もわかりましたし、大きな経験となり、「市民立の学校をつくるプロジェクト」として自然を教科書にした子どもたちが安心して失敗でき、自分の頭で考え生きていけるような学校づくりを目指すようになり活動しています。

 

自分の幸せは自分で選び変えていける

 

―最後にシングルマザーへのメッセージをお願いします。

西村さん あなたがどんな場所にいても、自分たちで未来を変えることができます。そしてその力が私たちにはあるのだと伝えたいですね。

『政治』とは市民のくらしを護り市民のために在るものだと、市民のために行われる政治のチカラを信じ、これからも行動あるのみで表していきたいと思います。

 

 

Profile

西村静恵さん

娘・息子をもつシングルマザー
1973.7生まれ
滋賀県近江八幡市に育つ
高校・大学ピアノを専門的に学ぶ
2013.05ひとつぶてんとう園を自主保育として設立
2019.04統一地方選挙立候補(次点にて落選)