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どんな場所に居ても、自分たちで未来は変えられる。 そのチカラが私たちにはある~西村静恵氏インタビュー(前編)

彼女の存在を知ったのはとある新聞記事だった。議会選挙で男女の候補者数をできる限り「均等」にするよう政党に求める候補者男女均等法が昨年施行され、選挙戦を戦う女性にスポットが当てられるなか、滋賀県の近江八幡で無所属、何のしがらみもない、普通のシングルマザーが奮闘した。

 

選挙演説をYouTubeで見た。市民が「当たりまえ」と思うことを「分かりやすく」「普段着で」語っている姿は魂がこもっていて、今まで見てきた選挙の演説とは全く異なっている。

そこには「嘘」も「化粧気」も「胡散臭さ」もない。「名前を連呼し続け」土下座せんばかりに「一生のお願い」をするも勿論なかった。まさに「真摯」。至極まともなことを訴えている。私なら彼女に託したい。

 

今年4月21日の滋賀県近江八幡市議選は注目されたが、結果わずか92票で彼女は落選した。女性だと、組織票がないと、シングルマザーだと叶わない社会なのだろうか。シングルマザーというだけではなく、女性、子ども、市民の未来を背負う西村氏と対談した。

(取材・文 浦邊真理子)

 

 

息子のアレルギーに向き合うことから始まった市民活動

 

―自己紹介をお願いします。

西村さん 西村静恵です。近江八幡で育ち、幼少期からピアノを始め、高校、大学とピアノを学び、就職、結婚。現在、中学生の娘と小学生の息子のシングルマザーです。

―シングルマザーにはいつなりましたか。

西村さん 2年間の別居期間を経て、5年前に離婚しました。

―離婚後の生活はどのようにされていましたか。

西村さん 離婚当時私は、専業主婦でした。娘は小学校低学年で不登校、息子は未就園児かつ重篤なアレルギーがあり、勤めにでることは難しかったのです。離婚後、我が子のアレルギーから、子どものためのフリースクールを立ち上げ活動する中、まともな経済力もないまま、実家にも頼れず、家賃2万円の家を探し出し何とか生活をしていました。

子どもに食べさせる米も底をつき、生活保護を申請しようと思ったこともあります。しかし生活保護を受けるには条件が厳しすぎて、こんな貧困状況でも受けることができませんでした。また、信頼していた人から「生活保護を受けるなんてあなたを軽蔑する」ともいわれ、傷つき、当時は結局生活保護をうける選択肢を自分で消去しました。

―定職もなく、その状況で離婚するケースは珍しいですね。

西村さん 頭で離婚後の困難さはわかっていましたが、婚姻関係は体が悲鳴をあげ、全身蕁麻疹になり、生活を続けていくことができなくなったのです。子ども達にも悪影響だと思い、離婚を決意しました。

―フリースクールとはどのような活動をされていたのですか。

西村さん 山に登っています。(笑)。ひとつぶてんとう園(以下ひとてん)と言います。(自然を教科書にした0歳からのフリースクール:自主保育)「ひとてん」は7年前に始めました。

息子がグルテンによるアナフィラキシーショックで3度死に直面したことがある深刻な食物アレルギーを持っていました。息子が2歳の頃、3歳になり幼稚園に通うことを想像したときに、「どこかに預けることで、自分の目が届かないところでこの子が命を落として帰ってくるかもしれない」そう感じた時、大きな恐怖を感じました。
この恐怖は何なのか、どうしたらよいのか、ちょうど同じ立場のお母さんと出会い二人で始めたのが「ひとてん」です。

マイノリティを対象とするカタチで始めました。活動の中に山登りがあります。この山登りは原点となっていて、私にも大きな気付きを与えました。


山登り風景 画像提供:ひとてん

山に登ると子どもたちは感覚的に何が危なくて何が大丈夫か本能的に分かって動いている。それなのに大人はすぐに「ああ、危ない」とか、自分の物差しや価値観で決めつけて口を出してしまいます。私も勝手に決めつけていました。「絶対安全」と自分が思っていることを先回って禁止し押し付けていました。そのうえ更に「息子が死んでしまうかもしれない」と一人できめつけて恐怖を感じていたのです。恐怖は親の価値観であったと気づきました。

山での体験から、決めつけなくても子どもは生き抜く力と感覚を持っていると信じることが大切だと気づいたのです。

責任を負わないために大人が先回りして全てを禁止し、人間力を奪うのではなく、与えられる前にみつけだす力や、自分らしさを発揮する場所があって「ちゃんと判断できる力を親子一緒に身につけて社会に送りだす」必要があると考えたのです。

またひとてんで息子と過ごすなか幼稚園や学校の先生ともコミュニケーションをとり、「親が事前になんとかしなくちゃ」ではなくて、一緒にやっていける力をつけることが大事なのだと、私の子育てへの考え方が形成されてきました。

そこから、これは「マイノリティだから」ということではなく、おとなと子どもの関わりにおいて大事なことなのだと間口を広げ、マイノリティだからこその問題を抱えていなくても来てもらえる場と発展しました。まずおとなが変わらないといけない。未就学児は親子で登園する「ひとてん」は子どもをどう育てるかだけではなく親の側が気付いて変わっていく、動いていくことを目指しています。

この考え方は私の政治への考え方に繋がっています。


山登り風景 画像提供:ひとてん

―ひとてんが西村氏の原点なのですね。

西村さん そうですね。ひとてんから「子育てと暮らし、政治はつながっている」ということに気づきました。例えばアレルギーや食育で農薬のことが気になったり、実際に放射能汚染から避難してきた家族を受け入れたことで知識を得、自分たちが登る山や触れる自然の放射能汚染も心配になったり。自分の周りのくらしがぜんぶ政治につながっていることが体感できたのです。

人々が「政治家に任せていないで自分で政治をやっていける」と思うことが大切だと思います。幼稚園入園時期に感じた私の恐怖感と同じく、[どこか、だれか]に任せ放しで、おかしいことなのに「おかしい」と思わず、思っても言わず,「これは仕方ない」「こんなもの」と諦めて、人のせいにしたり不安や恐怖を感じている状態が現在の社会なのだと思います。

―政治活動はどのように始まりましたか。

西村さん それまで自分から遠いところにあった政治と自分の距離が縮まりました。ひとてんの活動と並行し市民、お母さんの立場で、社会や政治を変えようと自ら関ることから始まりました。

教育や原発、基地、戦争、子育て、そして選挙のこと、つまり自分が「暮らす」なかで何か問題に感じることから動き始めたのです。行政には原発問題、安定ヨウ素剤の配布のことや教育の充実のことなどで何度も窓口に足を運んでいました。でも市民の声も、シングルマザーの声も届かない「何故?」という思いが募り高まりました。

たくさん関わってきた活動の中、「くらしとせいじカフェ」という”政治と生活は繋がっている”という想いで政治と市民の架け橋となるお母さんたちが立ち上げた集まりがあります。社会の問題を話し、政治家や専門家の方などとお茶を飲みながら対話したり勉強会をしたりする集まりがあり、わたしと政治が近づいたきっかけです。

それまでは「選挙に行っても無駄」「受かる人は決まっているし、何も変わらない」と興味がなく選挙に行ったこともありませんでした。もちろん、自分が政治家になることなど全く考えたこともなかった。しかし政治と生活は密接に繋がっていて、生活を変えるには政治を変えないといけないと徐々に理解しアクションするようになりました。

―立候補したきっかけは?

西村さん 初めは、政治家が市民の声をきいて変えていくのだと期待し、様々な市民運動をしたり各地の選挙を学んだり国政選挙を手伝い政治家の人と出会いました。見せかけだけの共闘などを目の当たりにし、問題の所在を突き詰めていくと、政党間の対話がないことが分かりました。

共闘のために奔走し、対話を積み上げ、とても手ごたえも感じ期待をしたのに、政治のしがらみで、政党は一瞬で消え去り、名前を変え共闘は崩れました。候補者の意思もコロコロと変わります。長いものに巻かれろとそれまでと全く違うことをする政治家も見てきました。わたしたちが目指してきた対話には意味がなかったのだと悟りました。 政治家と市民の信頼構築は対話を重ねているだけではできない。同時に「政治家って何?」「誰のための政治家?」と強く憤りを感じたのです。

政党が決めたこととなれば、市民の声など耳に届かない政治家たちをリスペクトできなくなっていました。

 

女性が、困っている人が、辛い経験をしてきた人が政治に必要
男性ばかりの議会で問題は解決しない

 

―そこから出馬につながっていったのですね。

西村さん 他人に期待しお願いしているだけでは駄目だ。外からワーワー言うだけではなく自分が動かないと望む社会にはならないのでは」と思うようになりました。共闘が崩れたときのショックが立候補のきっかけだと思います。

―選挙に出るには莫大な資金が必要ですよね。シングルマザーでどのようにして用意されたのでしょうか。

西村さん 選挙は莫大なお金がかかるイメージがありますよね。しかし、選挙は「自分を大きく見せるため」のパフォーマンスやイベント化しなければ分相応で出来るものだと今回選挙に出たことで分かりました。絶対に講演会をしなくても事務所を持たなくても、街宣車にウグイス嬢を雇わなくても、お金をかけなくても良いのです。

わたしはシングルマザーでお金も時間も全く余裕はありません。選挙費用はありがたいことにほぼ応援カンパと公費で賄い、お手伝いは応援ボランティアにして頂きました。「出来ないこと、無理はしない」とビラも選挙カーもなしでと考えていました。結果、心あるかたが分相応のなかでポスターやビラを作ってくださり、車も無事に見つかりました。事務所も知り合いのお母さんが申し出てくれたパン屋の一角をほぼ無償で借りて行いました。ゼロから始まり、できるものを厳選し積み上げた選挙で、皆でつくり闘った選挙戦でした。

「選挙はこういうものがなくては出られない」ものではない、ということを示すことができたと思います。これから立候補を考える「一般市民」の方がいたら、是非伝えたいですね。
また、選挙戦の発想が男性的であることもわかりましたので選挙文化も変えていきたいと強く思います。

 

しがらみゼロ、経験ゼロ、資金ゼロ シングルマザーの選挙戦~西村静恵氏インタビュー(中編)へ続く。

 

Profile

西村静恵さん

娘・息子をもつシングルマザー
1973.7生まれ
滋賀県近江八幡市に育つ
高校・大学ピアノを専門的に学ぶ
2013.05ひとつぶてんとう園を自主保育として設立
2019.04統一地方選挙立候補(次点にて落選)