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クリスチャンで離婚は認められる?プロテスタントの場合の離婚は可能か?

宗教によって離婚が禁じられているところがありますよね。キリスト教でも、カトリックの場合は、離婚・中絶・自殺は認められていません。プロテスタントの場合はどうなのでしょうか。

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宗教によって離婚が禁じられているところがありますよね。キリスト教でも、カトリックの場合は、離婚・中絶・自殺は認められていません。プロテスタントの場合はどうなのでしょうか。結婚式の指輪交換の儀式の時に、神父さんが「神が合わせられたものを人は離してはならない、アーメン」と宣言されたので、離婚してはならないと思っている人も多いでしょう。実際はどうなのか検証してみましょう。

 

【イエス・キリストの言葉から考える】

 

上記の、「神が合わせられたものを人は離してはならない」というイエスが発したとされる言葉の解釈が問題です。この解釈をどうとるかですが、この「人」については離婚をする夫婦という意味ではなく、「他人」を指しているとされています。

 

この言葉を言ったイエスの状況は、離婚論議に夢中になったやじうま達がイエスの元に来て話した時に、イエスがこう言って戒めた、とされています。「神が祝福して引き合わせた二人を、お前たちがあれこれ首を突っ込んで別れさせてはいけないよ。」と言ったのでしょう。つまり、離婚を相談に来た夫婦に言ったわけではないので、夫婦が自らの意思で離婚を決めてはいけない、ということは一言も言っていないということになります。

 

【実際の教会ではどういう扱いを受ける?】

 

離婚をする人が増えている世の中であるとはいえ、離婚を歓迎するムードはほとんどの教会の中にはありません。ひどい教会員の中には、誹謗中傷をしたり、眉をひそめて噂話をしあったりする人までいます。最終的に教会を出ていかなければならない人もいます。

 

「離婚=神のご意思に背いた行為である、正しくないこと」と考える傾向にあるからでしょう。クリスチャンが正当化することや正しさにこだわってしまうと、愛を失うことがあります。イエス=キリストが最も大事にされていた愛をまさに見失っている状態です。

 

離婚を容認してくれる言葉が聖書に書いてあったらいっそのこと良かったですよね。しかし、どんな扱いを受けたとしても、神様はいつもそばにいてくれることをクリスチャンの方は覚えておくと心強いかと思います。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」というイエスの言葉を自分に贈りましょう。愛と癒しにあふれた教会では、離婚に傷ついた人の心を「よく戻ってきてくれたね。」と受け止めてくれるでしょう。

 

【まだまだ愛がない、牧師たちもいる】

 

離婚について寛容な牧師さんも多くいます。しかし、一方で、「離婚はいけないことです。しかし、罪人も神は許してくださいます。」とおっしゃる牧師さんもいます。この「罪」という言葉が引っかかりますよね。離婚=いけないこと、罪なのかと受け取っても不思議はないでしょう。では、離婚をしなければ罪にはならないのか、という話にも発展してしまいます。相談しても、全く心の救いにはならないですよね。

 

離婚者の心を全く無視したことを言う牧師さんは、聖書を読み違えていると考えて良いでしょう。なぜなら、聖書には一言も「離婚者は罪である。」ということは書かれていないのですから。

 

「すべての人は罪人である。」というセリフを読み違えているのでしょう。離婚が正しいかどうかということは本人の中の問題であって、牧師はそれを否定する権利はありません。大事なことは、離婚を勇気持って打ち明けた人をどういたわりケアするかということに目を向けてもらいたいものです。

 

イエスの言葉に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」とあります。この心が牧師さんにも求められているのです。

 

【まとめ】

 

結論としては、プロテスタントの場合は、離婚は可能です。聖書に、夫婦本人の意思で離婚してはならないと書かれていないからです。より戒律に厳しいカトリックでは離婚は難しいでしょう。

 

離婚をしたことで非難を受けることがあるかもしれませんが、負けないようにしてください。愛と理解のない牧師さんや教会は願い下げだ!と他をあたってもいいかもしれませんね。

 

離婚は罪ではありません。離婚が自分や子どもの救いになるのであれば、どこが罪になるのでしょう。自信を持って良いのです。

 

 

(文/ゆー 画像/123RF)

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